ウイスキーの歴史

ウイスキーの歴史 "History of Whisky"

お酒には醸造酒と蒸溜酒があり、ワインやビールのような醸造酒の歴史は大変古く、紀元前5000年頃(日本の縄文時代前期)にはすでに人々の暮らしの中にあったと言われている。この太古からの酒はすべて醸造酒であるが、「ウイスキー」と称される蒸溜酒はかなり新しい酒であるといえる。しかし歴史が比較的新しいのだが、ウイスキーの起源を調べていくと様々な説がある。発祥の地ですら、アイルランド説とスコットランド説という二つの説があり、謎に包まれる。

命の水蒸溜酒が誕生したのは、おおよそ12世紀~13世紀頃といわれているが、その頃ヨーロッパ各地には錬金術師たちが多く、卑金属(金・銀以外の金属全般)を黄金に変えようと日夜努力を重ねていた。彼らは蒸留装置で黄金を創りだそうとして失敗したのだが、この蒸溜装置から思わぬ副産物が誕生したのである。どのような意図があったかは定かではないが、ある錬金術師がビールを蒸溜装置に流し込んだところ、ビールが香り高い酒に変身したのである。彼らはこの液体を「ウシュク・ベーハー(命の水)」と名付け、「ウイスキー」の語源となったといわれている。「命の水」はラテン語で「アクア・ヴィテ」となり、フランスでは「オー・ド・ヴィー」となった。

ただし、ここでも様々な説があり、錬金術師が流し込んだのはワインであり、蒸溜されたスピリッツはアクア・ヴィテが先で、ウシュク・ベーハーは後だ、という説もあり謎に包まれたままで真相はわかっていない。どちらの説にしても12世紀~13世紀のヨーロッパ各地で、それぞれの土地の原料から蒸溜された「命の水」が誕生したことだけは間違いなさそうだ。
ウイスキーが一般に知られ始めたのは15世紀に入ってからのようで、当時のウイスキーは貯蔵はされずに粗野な無色透明のいわば焼酎のような酒だった。しかし需要が高まるにつれ、大都会のあるローランド地方に近いスコットランドが優位に立ち、アイルランドとの差を拡げていった。こうしてスコットランドの国民的飲料となったウイスキーに、不幸が訪れた。1707年スコットランド王国はイングランドに合併され、その結果ウイスキーに苛酷な税金が課せられたのである。

こうした状況から「密造」の時代が始まったのだが、この密造によってウイスキーの「質的向上」をもたらしたのである。酒造りをする人々は徴税吏の目を逃れるために、遠くハイランド地方の山奥にへこもった。そして自ら土を耕して、収穫した大麦を原料として麦芽をつくった。水分があると発芽や糖化が進むため、麦芽は乾燥させねばならない。彼らは荒野の土の中にいくらでもある「ピート(泥炭)」を焚いて、麦芽を乾燥させたことでスモーキーフレーバーが生まれたのである。その結果、密造者たちの造るウイスキーのほうが、はるかに旨いということになっていった。その上、徴税吏の眼から隠すことが貯蔵につながったのである。見つからないように山へ隠しておいた樽の中身は、年月が経つほどまろやかさ、芳醇さを増すことがわかり、製造工程に貯蔵熟成が取り入れられるようになった。こうして無色透明のウイスキーから琥珀色のウイスキーが誕生した。

1820年代に入るとイングランド政府は方針を変更し、多くの蒸溜所が法律で認められるようになった。1924年に免許第一号として生まれたのがジョージ・スミスによる「ザ・グレンリベット・ディスティラリー」である。さらに、1826年には、ロバート・スタインという人物が従来の蒸溜釜(ポットスチル)に比べて精溜効果が高く、原料に発芽していない大麦やトウモロコシを使える「連続式蒸溜機」を発明した。原料が安く効率的なこの方式かた造られたウイスキーは「グレーン・ウイスキー」と呼ばれ、味も軽やかで評判になったのだが、このグレーン・ウイスキーの登場で生活を脅かされた従来のモルト・ウイスキー業界は、堪りかねて「グレーン・ウイスキーはウイスキーにあらず」と訴訟を起こしたのである。これがウイスキー史上で有名な「ウイスキー裁判」である。これに先立ち1853年にアンドリュー・アッシャーという人物が、両者をブレンドし、ブレンデッド・ウイスキーを誕生させたことから、無二のパートナーへと変わっていった。
香り豊かだが重く、蒸溜所の個性が際立つモルト・ウイスキーが、軽いグレーン・ウイスキーとブレンドされることによって、まろやかでしかも香り高い、そして多くの人々の嗜好にマッチするウイスキーが誕生したのである。スコッチ・ウイスキー=ブレンデッド・ウイスキーという認識が一般に定着するきっかけにもなった。

さらに偶然は重なるもので、1880年代にヨーロッパの葡萄畑を襲った害虫の「フィロキセラ」の猛威によって、ワインが異常なまでに高騰した。このため「スコットランドの地酒など」といっていたヨーロッパの人々がウイスキーに馴染む切っ掛けをつくり、それがさらに全世界へと拡がっていったのである。

一方、17世紀にウイスキー製造技術はアメリカ大陸へ渡って行き、スコッチ・ウイスキーと同じように永い受難の時代を迎えるのである。そのひとつは、独立戦争に巻き込まれたこと、そして戦後の課税と、それに対する反乱と苦難が続いた。
ウイスキー製造業者は西へ西へと逃れ、ケンタッキー、テネシーの地に落ち着いた。この過程でアメリカン・ウイスキーの主原料がライ麦から、この地の主要農産物であるトウモロコシに変わり、アメリカ独特のバーボン・ウイスキーの誕生となるのである。もうひとつの受難は、第一次世界大戦後の禁酒法で、酒は全て「非合法」の暗い谷間の時代になるのだが、皮肉にも禁酒法の中で、アメリカ人はヘビードリンカーになり、現在アメリカは世界一のウイスキー消費国になった。

日本初本格ウイスキーさて、本格的な国産ウイスキーの製造は、1923年に京都郊外にある山崎の地に鳥井信治郎氏(サントリーの創業者)が、ウイスキー工場をの建設を始めた時に始る。
当時、日本ではウイスキーを飲む人など全くの少数派で、しかも大きな投資を必要とするこの事業に乗り出したの鳥井氏の志と実績は、まさに日本のウイスキー界のパイオニアといえよう。かくして1929年日本初の本格ウイスキー「白札」がリリースされる。その後の幾度の苦難の道を経て、現在のウイスキーの礎を築いていったのである。

ウイスキー

検索条件

お酒カテゴリーから選ぶ
商品名を入力

現在のカゴの中

合計数量:0

商品金額:0円

カゴの中を見る
  • ウイスキー用語辞典
  • ブランデー用語辞典
  • ウイスキーについて
  • ブランデーについて
  • ウイスキー銘柄一覧
  • ブランデー銘柄一覧
  • リキュール銘柄一覧
  • スピリッツ銘柄一覧
リサイクルショップネオスタンダード ヤフオク店
お酒買取専門店ネオスタ